小倉洋館

マラソン大会に出場する市民ランナーが即売会で無人少女を追っかける情報&日常系ブログです。和風が好き。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず 

私は何と戦っているのか。
そんなこと前から気付いてたよ、敵は「自分自身」だって。

真面目にそう自覚したのって初めてかもしれませんね。
例えばたまに太ったとかでダイエットするぞーって決意して、深夜に食欲が抑えられないのは自分の意志の足りなさが責任だって思っても、本気で自分自身を敵と見なして「変えよう」なんて思ったことはなかったですもん。
人間って本当に痛みや危機感を覚えないと本気で変えようって思わないんですね。

でも今の私には本気で自分自身と戦っていかなくちゃいけない、変えていくことが必要だってハッキリと自覚しました。

*この記事の文章・考え方は現在読んでいる本「考えない練習」(著:小池龍之介)の影響をかなり受けています。鵜呑みにしている部分も多く見受けられるでしょうが、その点をご理解いただければ幸いです。


今までは自分を無理に変える必要はないと思っていました。好きなことも、「〇〇は苦手だな」、「〇〇は嫌だな」と思うこと自体もアイデンティティーだと信じて疑わず苦手なままにしてきました。
でもそれじゃあ傷付くことが増えていくだけ。「苦手だな」って思ってストレスを感じて、治さないでほったらかしにしていれば延々とストレスは溜まっていきます。これではいつか心が壊れてしまいます。
苦手なことを無理に好きになる必要はないと思います。せめて「その事象をありのまま受け入れる」心を持ちたい。いちいち反応して心に刺激を与えるのではなく、空気のように感じるようにできればいいなと。

これらを空気と感じるようにするにはどうしたらいいのか。
心が勝手にそう考えてしまうわけですから、苦手なものを見ても考えてしまうことをストップさせる訓練が必要です。苦手なものを「嫌だなぁ」と心が考えてしまう前に、そのものがあるなで止めてしまうのです。

勝手に考えてしまうのを止めるには、まず自分を見つめ直してしっかりとそう考えてしまうことを自覚することが必要なんじゃないかと思います。
なのでまずは自分を知っていきます。


「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」

意味はヤフってください。今の敵は自分自身なのですから、己を知れば自ずと彼を知ることにも繋がるのではないかと。てんで頓珍漢なことを言っているのかもしれませんが。


<個性と流行>
私はどうも個性というものを重要視する傾向にあるみたいです。
例えば何か流行っているものがあって、それを皆がここぞとばかりに始めているのを見ると、「流されてるなぁ」とか「人と同じことばかりして何が楽しいんだろう」とか「自分というものを持っていないのかな?」とか考えてしまいます。
これには私が「他のことに興味を向けず自分が好きなこと一本を貫いてしていくことに美徳を感じている」ことから派生してくる考えなのでしょう。実際この考えは昔から自分の根底にありますし、誇りに思っていることです。この意志を捨てる気は毛頭ありません。
だからといって流行に流されている人たちを批判したりなんだかなぁと思うことがいいことではありません。こう思ってしまうこと自分が嫌いですし無くしたいです。



<背徳感と後悔>
今苦しんでいる元凶とも言えることがあります。それと戦っていくことが今の状況を抜け出す鍵になるのではないかと思っています。
それは「部活を止めること」です。これは私がTwitterで隠語として使っている言葉で、世間一般で言うところの「部活動」のことではありません。つまり「ナニ」のことです。分からない方はスルーしていただいて構いません。
なぜ止めることが現状を抜け出すことに繋がるのか、これには私の性癖のお話をしなければなりません。なかなか理解しずらい内容になってしまうかもしれませんが、こういう考えもあるのだなと思って最後まで見てくださると有難いです。
私は背徳感に特に性的欲求を感じてしまう人間です。これは浮気ものだったりNTRものが大好きだって意味ではなく(まあ近いものはありますが)、人が変わっていく流れを見ていくことです。
具体的に言うと、「〇〇はしない!」と言ってた人が、例えばゲームとか月日が経ち我慢できずに始めてしまうといったことです。今年で言うとソーシャルゲーム、艦これとかですね。
これを見るのが今年は異様に多いように思われます。「ソシャゲはしない」→「やってしまった・・・楽しい!」→「でも課金はしない」→「課金しちゃった」。この流れに対しては特に性的欲求が増幅します。オカズにするわけですね。
別にやらないなんて決意してないけど、とりわけ興味のなさそうな人が流行り物のゲームに手を出すことに関しても少量ですが性的欲求が湧いてきます。
そして性的欲求が生じると同時に言いようのない苦しみに襲われます。「ああ、この人変わっちゃったな・・・」とか「染まっちゃってるな・・・」といったような残念な気持ちが生じます。これはおそらく賢者タイムと重なっていることから来る気持ちってこともあるでしょうが、ナニをしなくても普段からそう感じてしまうようになっています。そしてこんなことをネタに部活をしてしまっている自分に対して後悔の念も生まれます。
今年の初めから今にかけてずっとそうです、抜け出せていません。部活をする内容の内訳として、二次元の画像を使うよりも「文字」をネタにすることが多い、そう言ってしまえるほどこの性的欲求は何度も生じてきます。
だから私は今Twitterを休止しているのです。つぶやきというのはいつまでも残りますから、いつでも見れます。何ヶ月も前につぶやいたことでもネタにしてしまっているのです。
そういった刺激を取り入れることができる状態から一度脱却して、自分を落ち着かせることが大事だと考えました。そこにあるから見てしまう、なら見ない状況を作ればいいんだと。
もちろんこれは一時的な応急処置なので、全て解決したわけではありません。根本として性的欲求と残念な気持ちを勝手に考えてしまうことをストップさせねばなりません。そこでここでも考えないようにする訓練が必要です。



<最後に自己嫌悪>
ちなみに他人の行いを見て感じているように書きましたが、自分の行いについても同じです。私がソーシャルゲーム、初めはモバマスでしたが、ゲーム開始当初は絶対に課金しないと、するもんかと思っていました。変わっていく人を眺めていてあんなのになりたくないって、心の底からそう。
ちなみに私はソーシャルゲームをすること自体には抵抗は感じていません。流行り物が苦手なだけでして、モバマスはプレイしているユーザーは多いにしろそこまで「流行っている」わけではないと感じていました。ガラケーでできる唯一のゲームでしたしね。
ですがあのときですね、4月1日にログインして、ちひろさんが制服でジャンプしてぼいんぼいん・・・まあそんなことはいいんです、ちひろさんに貢いでもいいかなという気持ちが沸いてきてしまって、100円だけガチャを回してしまいました。そこからずぶずぶとハマってしまいまして、自己嫌悪が酷かったです。自分が嫌悪感を抱いていることを自分がやってしまったというのを経験したことがある人は、その自己嫌悪の辛さを感じたことでしょう。ただ大抵の人はしばらくすれば慣れる、気持ちが薄れていくと思います。
でもね、私の場合は消えないんです。いつまでもその自己嫌悪が残っています。

正直これに関してはどうすればいいのか、どうしていきたいのか全然分かりません。
自己嫌悪を消したいのか、しないと決めたことはしないと強い意志を持っていなかったことを後悔したいのか。

昨日モバマスの記事を書いて面白おかしく言ってネタにしています。Twitterでもたまに課金の話になって盛り上がってしまいますが、あれはほぼ全部建前です。本音ではありません。話を盛り上げたいとするあまり本音とは違うことをいったり、時には盛ったりすることがよくあります。正直こんな自分に嫌悪感を持っています。
本音と建前とかまるで『変態王子を笑わない猫。』のようですが、実は私1巻を読んでとてつもなく共感していたんですよね。まあそんなことは置いといて。

どうしていけばいいか分からないことだらけです。



なんか一気に大量に書いてしまいました。
少しでも伝われば幸いですが、読みにくかったかな・・・。

ここまでブログで本音を吐いたのは初めてかもしれません。
理解されないかもしれないってことを人に伝えることは怖いです。
否定されたときに自分はやっぱり人と違うんだ、おかしい人間なんだって錯覚してしまいますから。子供の頃ほど自意識過剰は治まったはずですが、まだまだ消えてないですね。

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